清涼寺(嵯峨釈迦堂)の存在

京都嵐山。清涼寺は私にとってとてもご縁を感じるお寺。
守り本尊の普賢菩薩様もいらっしゃるし。

中学生の頃、家族で嵐山のお寺巡りをした時に初めてお参りして、その時にすごく印象に残ったのを覚えています。具体的に何がというわけではなく、空気感というか、肌で感じる何かがとても心地よい感じがしたのでした。

最近になって、その清凉寺にうかがってお釈迦様にお目にかかると、なぜだかわからないけど必ず涙が溢れてくるのです。

中学生の頃以来、次にうかがったのは確か2008年。いや2007年かな?旅行会社に勤めていたときの、京都市内を周る定期観光バスの試乗会でした。その時は、ここは私の好きなお寺♪久しぶり♪と思っただけで、お釈迦様にお目にかかった時も特に何もありませんでした。試乗会に参加している他の人もたくさんいたしってのもあったと思う。京都に住まいを移したこともあったので、近いうちにまた来ようと思ったのでした。

そして昨年の11月のある日の朝9時頃、まだほとんど参拝者がいない時間に来てほぼ1対1でお釈迦様の前に立ったところ・・・。
何だかわからないけど涙がボロボロこぼれてきました。自分でも訳がわかりませんん。特に大きな悩み事があったわけじゃなく、お釈迦様にすがりたいと思ってうかがったわけでもなく。

いろんなお寺でお釈迦様にはたくさんお目にかかっているけどこんなの初めて。とにかく涙が溢れてくる。嬉しいとか悲しいとかこわいとかそういう一切の感情を伴わないで涙が溢れるというのがよくわからないのです。

しばらくお釈迦様の前で涙を流すと、気が済んだかのように涙は自然と止まりました。
でもこのあと数日経って、これまたよくわからないけど心が軽くなっている自分に気がついたのでした。

大きな悩み事はなくても小さい気がかりなことは誰にでもあると思うけど、そういうものも含めて何も解決していないし目に見える変化は何もないのだけど、お釈迦様の前で流した涙で心が浄化されたような、上手く言えないけど、たぶんそれが感覚として一番近い表現だと思う。

その日はたまたまだったんだろうって思ったりもしました。
でもその後またお目にかかっても、やっぱり同じで涙があふれてきます。

いつかきっと、お釈迦様とお話ができるようになるんじゃないかなぁと今は感じています。
信仰とかそういう宗教的なものとはちょっと違うと自分では思っているけれど、今はまだ、お釈迦様の存在が大きすぎて話にならないというか、その存在に圧倒されている感じがあります。

お寺ってやっぱりただの観光名所なだけじゃなく多くの人々を救ってきた場所で、
仏教の世界もまた、敷居の高いものではなくてもっと人々にとって身近なものなんじゃないかなとおもっている今日このごろです。

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清凉寺(嵯峨釈迦堂)の公式ウェブサイトです。清凉寺の簡単な歴史、境内の案内、参拝の案内、年中行事、交通の案内などを登載。また清凉寺境内・建物の写真もいくつか載せています。
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